ビトゥンでマグロ工場や漁港などを見学した後、マナドのホテルに向かうことになりましたが、ビトゥンに日本人慰霊碑があるという話を聞いたので、寄り道してもらい参拝することになりました。
日本人慰霊碑の場所をマップで確認すると、日本の記念碑(Tugu Japan)としか表示されていません。途中に史跡などを示す看板などはなくビトゥンの町外れにあるようです。本当に記念碑があるのかと思うようなところです。記念碑の場所はマネンボネンボ村( Manembo-Nembo)にあり、丘の上に建立されています。ドライバーがここだ、車が止まった場所は古びた大きな門があり奥に階段がそびえています。緑豊かな木々が生い茂る中こんなところに記念碑があるのかと思うような場所でした。
門は少しだけ開いていたので、中に入ることができるようです、もちろん周りに人影などなく静かな小高い丘がそびえています。
もちろん、日本モニュメントは木々が生い茂る小高い丘の上にあるからです。記念碑自体にたどり着くには、丘の頂上まで何十段もの階段を上らなければなりません。ゆっくりと階段を踏みしめながら上がっていると、ようやく記念碑が見えてきました。
記念碑は丘の上に見晴らしのよい場所に海建てられ、海の先にはレンベ島が良く見えます。そよ風が頬にあたり、気持ちの良い感じにさせてくれます。
日本人記念碑は正確には、元山(げんざん)記念霊園と呼ぶらしく、日本海軍14期海軍飛行予備学生、元山戦闘機隊の人々が中心となって建立した霊園となります。昭和62年(1987)、当時の戦没者と政府の協力により建立されました。植民地時代の日本軍と連合軍の戦いで戦死した日本兵は少なくありません。ビトゥンは第二次世界大戦の時代に総力を挙げて戦った歴史的な場所となります。
この目的地に到着すると、日本記念碑にゆっくりと夕暮れが忍び寄ります。記念碑の中央には「鎮魂」と書かれていて、昭和17年1月の日本軍最初の落下傘作戦マナド航空基地攻撃の堀内豊秋海軍大佐ほか、南太平洋戦域において戦死した陸海軍将兵を弔っているそうです。
記念碑の前で、亡くなった日本兵に参拝しました。かつて日本兵がどんな思いでこの地ビトゥンで戦ったのかはわかりませんが、この見晴らしの良い場所で静かに見守ってくれているかと思うと平和な世の中に生まれて良かったとも思えます。
記念碑をよく見ると、誰が書いたのかわかりませんが落書きがあります。
記念碑の脇に小さな石碑があるのですが、半分に割れてしまっていました。聞く所によると石碑の周辺に金塊があるというニュースが出回って住民により取り壊されてしまったということです。
日本人の魂が眠る場所ですが、ちょっと悲しくなりました。
帰り際にすばらしい夕陽が石碑を照らしました。
この地に眠る戦没者が参拝にきてくれたことを感謝してくれたのかと思うと涙が出てきます。そよ風に吹かれながら、階段を降りて記念碑を後にしました。