ボロブドゥール遺跡を訪れるときの玄関口はインドネシアのジョグジャカルタ。
ジャワ島中部に位置するジョグジャカルタは特別州の州都です。
伝統的なジャワ美術の中心地として発展しており、「バティック」と呼ばれるろうけつ染め布地、影絵芝居、ラーマヤナバレエなど多くのインドネシア文化が集約されています。
ジョグジャジャルタには、世界最大の仏教寺院・ボロブドゥール遺跡と、プランバナン寺院遺跡群という2つのユネスコ世界遺産があります。
その両方とも、1000年前栄えたヒンドゥー教・仏教の王朝によって作られた寺院。現在のインドネシアは偶像崇拝禁止であるイスラム教が大多数ですが、火山灰に埋もれていたおかげで、破壊されずに残っているヒンドゥー・仏教寺院が多いと考えられています。
インドネシア・ジャワ島中部のケドゥ盆地に位置する世界遺産、ボロブドゥール遺跡。
8世紀~9世紀にかけてこの地方を支配していたシャイレンドラ王朝によって建てられた世界最大級の立体曼荼羅(まんだら)構造つまり「ピラミッド型石造」仏教寺院です。
王朝が滅亡してからメラピ山の大噴火で1000年後に発見されるまで、火山灰とジャングルに埋もれていました。地元民にも忘れられていた建造物が1814年イギリス人のラッフルズによって偶然発見され、その後、12年の歳月を経て遺跡の全体像が掘り起こされました。
ジョグジャに訪問する一番の目的は、ボロブドゥール遺跡ですが、遺跡の雄大さや素晴らしさだけでなく、訪れる人を魅了するのは、今でも遺跡の謎が解明されていない神秘的な面があることも理由です。今回のその謎に迫りたいと思います。
1980年代に日本からの援助も受けて大規模な修復がすみ、1991年には世界遺産にも登録されたこのボロブドゥール遺跡。しかしいまだ謎の多い遺跡でもあります。
ボロブドゥールは寺院なのか、それとも王の墓や廟なのかもハッキリしていないのです。
たとえばアンコールワットや南インドの石造寺院も含め、仏教寺院なら建物の内部には“本堂”とも呼べる内部空間があり、そこに本尊が安置されています。
ボロブドゥールの最大の特長は内部空間を持たない造りであることです。
通常、寺院であるのであれば本堂と呼ばれる内部の空間があるのですが、ここには内部に入れるところは一切ありません。
自然の丘を石のブロックで積み上げられた回廊が囲み、中心部に向かって高くなっているという、他にあまり類を見ない作りだからです。
通常の仏教寺院は聖職者のみが入れる「内陣」と信仰者の人たちが祈りを捧げる「外陣」とに分かれて造られているのですが、ボロブドゥールはそういった空間の造りを一切もたず、寺院全体が分け隔てのない神聖な空間として存在しています。
仏教寺院の中で稀有な存在でもあるそうです。きっとこの地に足を踏み入れただけで、神聖な力を感じてみなぎってしまうのではないでしょうか。
この遺跡は自然の丘に盛り土をしてその上に安山岩のブロックを積み重ねた空積み構造が特徴です。
構造的には外周の基壇、回廊をもつ5層の方壇、そしてその上の3層の円壇からなり、全体で9層の階段ピラミッドを形成しています。
遺跡の大きさは、高さ約33メートル。最も下に一辺約120mの基壇があり、その上に5層の四角形壇、さらにその上に3層の円形壇があり、全体で9層の階段ピラミッド構造の高度な石造りになっています。
これらの構造物は『仏教の三界』を表しているとされ、基壇は人間のいる煩悩で生きる「欲界」、方壇は神と人間が触れ合って悟りを求める「色界」、円壇は神のいる物質世界から解脱した「無色界」を表現しているといわれています。
この意味は、人は下から上に登っていくにつれ、欲望に満ちあふれた世界から禅定の世界へ、すなわち悟りを目指す菩薩の修行を表現しているのです。
これらを見ながら最上階に上っていくと、悟りの道が開けるとされています。
そして、四角形壇でのもう1つのみどころは、「隠された基壇」です。実は、現在の基壇の更に下に、古い基壇が隠されるように土に埋もれているのです。
発掘調査により、埋もれた基壇には人間の「善行・悪行」についての説話が彫られていることが分かっていますが、そのレリーフは非常に立派なもので、なぜこの基壇だけが隠されたのか、設計上の問題なのかと、こちらも明確な理由は明らかになっていません。
現在、その1部分を見学することができるので、「隠された基壇」の不思議に触れてみてはいかがでしょうか。
四角形壇の回廊の見学を終えて、円形壇に到着すると階下に広がる遺跡公園内の濃い緑、背景の山々、無数のストゥーパ(仏塔)が視界に飛び込んできます。ストゥーパとは釈迦の遺骨や遺物などをおさめた塔の一種です。
ボロブドゥールは世界最大級のストゥーパ(仏塔)遺跡でもあり、石のブロックを漆喰などの接着剤の類を一切用いることなく積まれています。
最上部の円壇中央には大きなストゥーパが置かれており、その周りを囲むように、釣り鐘型の小さなストゥーパ・全72基が3層構造で規則的に並んでいます。
ストゥーパの切り窓からは、それぞれ一つずつの仏塔内部に“釈迦仏像”が1体ずつ安置されているのが確認できます。
しかし、不思議なことに、天を目指すかのような中央の大ストゥーパだけは、中央が空洞になっています。
かつて「シャイレンドラ王朝の王の遺骨が入っていた」という説や、「あえて何も置かず空っぽにしており、ジャワ仏教の独自性が示された「空」の思想を強調している」とする説など、諸説あり、こちらもボロブドゥールの歴史をたどる面白みの1つとなっています。
『クント・ビモ』 と呼ばれている仏像が納められていて、ストゥーパの穴から手を伸ばし、「女性は仏像の右足小指、男性は仏像の右手小指に触れると願いがかない、幸せになれる。」といわれています。
実際、試したところ、右足は容易でしたが、右手はなかなか難しいと感じました。
歴史的な建造物のとしての他に、パワースポットとしても人気が定着していることが感じられます。
世界最大級の仏教寺院でありながら、1000年もの間忘れ去られた存在になっていました。
この建造物は、中部ジャワを拠点としてインドシナ半島にも勢力を誇ったシャイレンドラ王朝により、8世紀末から9世紀初めにかけて建てられました。
日本では奈良時代末期から平安時代初期にかけてのことで、アジア全体に仏教が大きな力を持っていた頃です。ところがボロブドゥール建立後の9世紀半ばからこの王朝は急速に衰退し、同じく中部ジャワに勢力を持つヒンドゥー教の古マタラム王国によって吸収されてしまいます。
王朝の衰退や噴火説もありますが、このボロブドゥールの土台の土と、覆っていた土が同じ土質だったことから、完成と同時に埋められたとの説もあります。
そのため、この巨大な仏教建造物も、長い歴史の中で忘れ去られてしまいます。
再びこの遺跡が姿を現すのは、約1000年後の1814年。当時オランダ領だったジャワを占領したイギリスの知事、ラッフルズによる発掘を待たねばなりませんでした。
ロマンあふれる遺跡ですが芸術としても素晴らしく、見えない位置までびっしり施された美しいレリーフも感嘆ものです。
遺跡に行ってみてまず驚くのは、その大きさとそびえる高さですが、実際に回廊を回ってみると、びっしりと埋め尽くされた石の浮き彫りの数に圧倒されます。
ブッダの生涯が描かれた第一回廊から浮き彫りを見ながら回廊を回り、上層に上って行くと仏教の教えが身に付くようになっているのです。つまり「仏教の学校」のようなものだったのではなでしょうか。
約5kmにもおよぶ方形壇の回廊には、時計回りに1460面のレリーフが続いていて、仏像の数は全部で504体にも及びます。大変ではありますが、これをひとつひとつ見て行くだけで仏教の歴史を感じとれるかもしれません。
すべて仏教説話に基づいたもので、ストーリーがあるのです。文字がほとんどないのは、当時は文字を読める人は少なく、一般の信者にはこうしたビジュアルのほうが仏教の教えを伝えやすかったのでしょう。
訪れた人が参拝しながら、頂上に行くに従い、仏教を楽しみながら学べる場所だと。そう思うと当時も今と同じように、ボロブドゥールは人気の学校だったのかもしれません。
描かれた物語は日本人になじみ深い説話がいくつもあるので、ガイドを付けて廻るとことで、より一層、美しい彫刻と、人生の教訓となる物語を楽しむことができます。
古代のジャワ人の生活や美意識、宗教感覚に思いをはせてしまいます。
この景色を、1000年前のジャワ人も毎日眺めていたと思うとロマンチックですね。
謎の遺跡ボロブドゥールを訪ねるにはイマジネーションを駆使して自分なりの説を唱えてみてはいかがでしょうか。