Makassarに関する記事一覧


Indonesia Makassar

2012年、私が初めてインドネシアのタコを見たのは、日本の工場でした。見慣れない縞模様のタコを前に、「これを日本のお客さんが買ってくれるだろうか」と試行錯誤。加工方法を工夫し、ようやく商品化へ。まだインドネシアへ行ったことすらなかった私と、この国との最初の出会いは、一匹のタコから始まりました。

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営業として全国を飛び回り、中国やタイの工場も訪ねた日々。そんな私の仕事を大きく変えたのが、2011年の東日本大震災でした。被災した工場の復旧を進める中、営業しか知らなかった私が突然、工場長に。作ってもらう側から、作る側へ。あの三年間がなかったら、今の私はマカッサルの工場に立っていただろうか。

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100グラム98円。かつてスーパーではタコの特売が当たり前のように行われていました。作っても作っても売れるそんな時代がずっと続くと思っていました。しかし、アフリカ産タコの価格は上昇し、やがて日本はヨーロッパに買い負けるようになります。売るから原料を探す時代へ。その変化の先に、後のインドネシアとの出会いがありました。

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1998年、タコ屋に入った私に任されたのは「販促」でした。電話とFAX、手書きの見積書が当たり前だった時代、写真入りの売場提案書を作りスーパーで培った経験を武器にバイヤーへ提案する日々。このタコを買ってくださいではなく、「このタコなら、こう売れます。」あの頃に身につけた仕事の原点は、今のマカッサルへつながっていました。

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就職氷河期の中、地元のスーパーマーケットに就職した私。毎日、発注数量と向き合うだけの平凡な日々が続いていました。そんなある日、思いがけない一本の電話から、人生は大きく動き始めます。興味もなかったタコとの出会いが、二十年以上後にインドネシアで会社を経営する未来につながるとは、このときは想像もしていませんでした。

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人生は、前を向いていると点にしか見えません。振り返ったとき、初めて一本の線になります。茨城の海辺で育った内気な少年が、なぜ50歳でインドネシアへ渡り、タコの会社を立ち上げることになったのか。その答えは、一つひとつの出来事を振り返った先にありました。これは、人生に隠された「伏線」をたどる物語の始まりです。

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マカッサルで暮らした五年間。この街の文化や人、食べ物について書いているつもりでした。でも、振り返ると、変わっていたのは街ではなく、自分自身だったのかもしれません。暮らす場所は、気づかないうちに、人の価値観や見え方を少しずつ変えていくようです。

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マカッサルで暮らし始めた頃、私は何でも日本と比べていました。仕事の進め方、街の様子、人との距離。けれど、暮らす時間が長くなるにつれて、その比較は少しずつ消えていきました。比べることをやめたとき、この街は「海外」ではなく、私にとっての当たり前の暮らす場所になっていました。

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マカッサルで暮らし始めた頃、この街は仕事をする場所でしかありませんでした。けれど、いつものカフェ、いつもの市場、いつもの景色が少しずつ増え、気づけば「マカッサルへ帰ります」と口にするようになっていました。暮らす時間は、人の心の中にもう一つの帰る場所を作ってくれるのかもしれません。

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マカッサルへ来た頃、インドネシア料理はどれも同じように見えていました。けれど、暮らしているうちに少しずつ味の違いが分かり、気づけば「あと一回、あの店へ行こう」と思うようになっていました。旅ではなく、暮らすからこそ出会える「いつもの味」。食べることが、この街を好きになった一番の理由だったのかもしれません。