Makassarに関する記事一覧


Airplane Indonesia Makassar

午前0時半、ジャヤプラ行きの便を待つマカッサル空港。出発案内を見ると、ティミカ、メラウケ、ビアク、ナビレ、マノクワリなど、午前2〜3時台にパプア方面の便がずらり。なぜパプア行きはこんな深夜に集中するのか。実際に午前2時15分発の便に乗って見えてきた、マカッサルとパプアを結ぶ航空ネットワークについてお伝えします。

Indonesia Makassar

マカッサルの船着き場からわずか30分。乾季を迎えたパナンブンガン島では、船の上から海底が見えるほど澄んだ海が広がっていました。白い砂浜、サンゴ礁、その間を泳ぐ色とりどりの魚たち。遠くのリゾートへ行かなくても、街のすぐ近くにこんな海がある。以前とはまったく違って見えた、今だからこそ訪れたい小さな島の魅力を紹介します。

Indonesia Makassar

マカッサルでは3か月以上まともな雨が降らず、南スラウェシでも森林・土地火災が相次いでいます。カリマンタンでは泥炭火災が広がり、オランウータンの生息地にも迫る事態に。なぜインドネシアでは乾季になると火災が繰り返されるのか。人為的な火入れ、泥炭地、エルニーニョ、パーム油産業など、その背景を現地から考えます。

Indonesia Makassar

2012年、会社の食堂で初めて聴いた加藤ひろあきさんの「Terima Kasih」。荻窪での日本ラストライブ、2014年のジャカルタでの再会を経て、14年後の2026年、今度は自分が暮らすマカッサルのNIPPON DAYで同じ歌を聴きました。日本からインドネシアへ。それぞれが歩んだ14年と、不思議な縁を振り返ります。

Indonesia Makassar

2017年、約2年間のマカッサルでの実証事業が終了しました。インドネシアでタコを作れるようになっても、売れなければ続かない。私は営業部長として再び営業の現場へ戻り、まだほとんど知られていないインドネシアタコを日本に広める仕事を始めます。作れることと、続けられることは違う。本当の挑戦は、ここからでした。

Business Indonesia Makassar

インドネシアで作る。その思いを形にする方法が分からない中、JICA事業への応募をきっかけにケンドマネジメントと出会いました。タコ案件、これは面白い。そして数か月後、海洋水産省で聞いた「タコなら、マカッサルでしょう。」という一言。翌日、私は初めてマカッサルへ。何気ない二つの言葉が、その後の人生を大きく動かしていきました。

Indonesia Makassar

2012年、私が初めてインドネシアのタコを見たのは、日本の工場でした。見慣れない縞模様のタコを前に、「これを日本のお客さんが買ってくれるだろうか」と試行錯誤。加工方法を工夫し、ようやく商品化へ。まだインドネシアへ行ったことすらなかった私と、この国との最初の出会いは、一匹のタコから始まりました。

Indonesia Makassar

営業として全国を飛び回り、中国やタイの工場も訪ねた日々。そんな私の仕事を大きく変えたのが、2011年の東日本大震災でした。被災した工場の復旧を進める中、営業しか知らなかった私が突然、工場長に。作ってもらう側から、作る側へ。あの三年間がなかったら、今の私はマカッサルの工場に立っていただろうか。

Indonesia Makassar

100グラム98円。かつてスーパーではタコの特売が当たり前のように行われていました。作っても作っても売れるそんな時代がずっと続くと思っていました。しかし、アフリカ産タコの価格は上昇し、やがて日本はヨーロッパに買い負けるようになります。売るから原料を探す時代へ。その変化の先に、後のインドネシアとの出会いがありました。

Indonesia Makassar

1998年、タコ屋に入った私に任されたのは「販促」でした。電話とFAX、手書きの見積書が当たり前だった時代、写真入りの売場提案書を作りスーパーで培った経験を武器にバイヤーへ提案する日々。このタコを買ってくださいではなく、「このタコなら、こう売れます。」あの頃に身につけた仕事の原点は、今のマカッサルへつながっていました。