「日本とインドネシアの平和と友好の象徴」マカッサルの日本人慰霊碑を訪れて
マカッサル市中心より車で約15分、タロ川が流れる高台にあるテロ村にある家の前庭に、高さ約1メートルの日本人戦没者慰霊碑がひっそりと立っています。マカッサルにある慰霊碑を訪れた様子をお伝えします。
マカッサルにある日本人慰霊碑
この慰霊碑には以下のプレートが掲げられています。
この地ぞ永久に出会いの場でこそあれ
干戈交うる場にてはあらず
平和と友好のいで会う場にてこそあれ
Kiranya tempat ini menjadi pertemuan abadi
bagi perdamaian dan saling pengertian.
tidak untuk senjata dan persenjataan
設立経緯
インドネシアの南スラウェシ州マカッサルには、日本兵34人の慰霊碑があります。慰霊碑には、処刑された34人の日本兵の名前が刻まれており、日イ平和の願いが込められたメッセージも刻まれています。
1945年8月17日にインドネシアが独立を宣言した後、戦犯として処刑された日本兵34人を追悼するために遺族らが中心となって結成した「インドネシア友好友の会」が資金を集め、日本から御影石を持ち込み慰霊碑が1987年に建立されました。処刑された日本兵の中には、現地で商業活動を行っていた民間人も含まれており、軍事裁判の公平性に疑問を持つ声もありました。
慰霊碑の管理
この慰霊碑が立つ場所は、大戦直後連合軍によって1947年及び1948年に及び34名の旧日本軍人が戦犯として処刑された地です。その刑場跡地は、現在、小学校になっており、周囲一帯は、警察官舎となっています。慰霊碑建立されるまでは、遺族が毎年、刑場跡地の小学校で慰霊祭を行っていましたが、児童が集まり祭典の支障になっていたので、遺族より近隣住民で警察官だったマハカウベ氏の自宅前庭を慰霊祭のために使わせてほしいとの依頼があり慰霊祭が行われました。それが機縁となって慰霊碑が建立されました。マハカウベさんの死後は、妻のマリアさんが慰霊碑の管理を引き継がれましたが2022年に亡くなり、現在は娘さんのインテさんご家族が日本から訪れる参拝者を温かく迎え入れています。
父、母の代から親子2世代で遺族ら日本人との交流を楽しみにしてくれ、慰霊碑を守っていく使命を感じたそうです。誰でも参拝できるようにいつでも線香やろうそくを用意し、応接間には記名簿と写真アルバムが置かれています。
現在でもマハカウベ一家の尽力により、慰霊碑は大切に守られ続けています。
日本とゆかりもないインドネシア人が長年にわたって無償で自宅前庭の一隅を提供し、その慰霊碑の清掃・管理を行ってくれていることに感謝し、今後もこの慰霊碑の維持管理が永続するように毎年2回、在マカッサル領事事務所と南スラウェシ日本人会は参拝及び謝金贈呈を行っています。この慰霊碑は、日インドネシアの平和と友好の象徴です。戦争の悲惨さを忘れず、次の世代に伝えるためにも、現地日本人社会が何らかの形で関与していくことは意義深いことです。
まとめ
マカッサルの日本人慰霊碑は、戦後の歴史と日本インドネシアの平和及び友好の象徴として重要な役割を果たしています。現地マハカウベ一家の協力と遺族の努力により、慰霊碑は大切に守られ続けています。慰霊碑参拝を通じて、戦争の悲劇を忘れず、平和の大切さを再認識することを感じました。