パレパレまでダムリバスでのんびりバスの旅
スラウェシ鉄道でガロンコン駅に到着した後、予期せぬ展開に心が躍りました。何もない駅で5時間の待ち時間を覚悟していましたが、偶然目にした国営ダムリバスに飛び乗る決断をしました。
ダムリバスへの急遽の乗車
ガロンコン駅周辺は、まるで秘境のような静けさで、レストランやお店、住宅は一切ありませんでした。ただ広がるのは池と未耕作の田園風景だけでした。
駅で次の列車の出発まで覚悟を決めて5時間待つかどうかの選択を迫られましたが、インドネシア国営のバス会社の車両が1台ぽつんと駅の駐車場に停まっていました。
どこに行くのかもわからないバスに乗り込むのは勇気がいることでしたが、この何もない駅に居続けるわけにもいかず、バスの中に入ってみました。
数名の地元の乗客がすでにバスに乗り込んでいましたが、肝心のドライバーが見当たりませんでした。ドライバーがどこにいるのか周辺を探したところ、駅の日陰で休んでいました。バスがどこ行きかわからなかったので、パレパレ(Parepare)まで行くのか尋ねたところ、1時間くらいかかるけれどもこのバスで行けるとのことでした。最終的には、パレパレの先のピンラン(Pinrang)まで行くそうで、ピンランまではさらに2時間かかり、合計3時間かかるとのことでした。ピンランまでは少し遠いので、比較的大きな港町であるパレパレまでバスで行くことに決めました。出発時刻は10分後の10時30分で、景色を楽しむためバスの一番前の席に座りました。無口ですが、バスの運転手は若くてしっかりとしており、いろいろ話しかけると、親切にいろいろと教えてくれるので、安心して乗ることができます。バスの中には自分以外に外国人はおらず、地元のおばちゃんたちに囲まれてガロンコン駅を出発しました。
地元の乗客との交流
駅を出発して、マカッサルから延びる幹線道路に出ると、快適な道路をひたすら北の方角に進んでいきました。
インドネシアのバスはジャカルタにあるトランスジャカルタ以外は、乗り方やバス停がわかりにくいので敬遠していましたが、こんな地方でバスにお世話になるとは思ってもみませんでした。何事もいろいろ聞いて体験することが大事だと感じます。このダムリバスもバス停がないので、道沿いであれば、運転手に降りたい場所を告げるだけで、タクシーのようにどこでも降りることが可能です。途中で乗る場合は、ダムリの運転手が携帯電話を持っていて、乗る場所を事前に知らせておくと、ちゃんと乗せてくれるそうです。確かに、スラウェシ鉄道のInstagramにその案内があり、電話番号が記載してありました。
地元ならではのルールがあるので興味深いです。また、面白いのは、バスが通るルート上であれば荷物だけでも運んでくれるということです。人が乗らなくても、受け取り人が目的地にいれば、荷物を運ぶことができるのは画期的です。運転手が地元の要望を受け入れてテキパキと仕事をこなすのは素晴らしいと思いました。地元のおばちゃんたちは途中でバスを降りてしまい、終点ピンランどころか、パレパレまで行くのは自分一人になってしまいました。貸し切りになったバスでのんびりとパレパレまで行くことになります。
バスの中からののんびりとした情景
バスの窓からはスラウェシの日常が広がります。田園風景が次第に海沿いの景色へと変わり、砂浜が見え始めると、そこには漁師が漁船を繋ぎ留めている様子も見えました。
小さな村を通過するたびに、子供たちがバスに手を振ってくれる光景に心が温まりました。運転手は無口ですが、地元の風土や風習について質問すると、親切に答えてくれるので、旅の知識も深まります。
ガロンコンを出発してから1時間が過ぎ、パレパレに入りました。
パレパレはコタ(市)と呼ばれる地域で、州都マカッサルから約150km北に位置する港街です。この地域のブギス族の中心地であり、2023年の人口は約16万人です。インドネシアの第3代大統領ユスフ・ハビビはこのパレパレで生まれました。トラジャに行く途中で何度か通過していましたが、パレパレの街に降り立つのは初めてです。バスの運転手に市の中心で降ろしてもらい、ユスフ・ハビビ元大統領の記念碑のある公園で下車しました。
ここでバスと運転手との別れを告げ、初めてのパレパレの街を探索することにしました。