マカッサルはインドネシア最大の東部都市で、活気に満ちており多様な文化が交錯する場所です。家族が初めてこの街を訪れたので、マカッサルの豊かな歴史と文化に触れてもらおうと、マカッサルの歴史を直接体感できるスポットとして、オランダ時代のフォートロッテルダム要塞を訪れることになりました。
ロッテルダム要塞はマカッサルに位置する古いオランダの砦で、スラウェシ島の重要な歴史的建築物の一つです。元々は1634年頃、ウジュン・パンダンと呼ばれる初期のマカッサルの要塞の場所に建てられました。要塞の周辺に生えていたジュムパンダンが、マカッサル市の以前の都市名であるウジュン・パンダン市の由来となったと言われています。この砦は1634年に勃発したオランダ東インド会社(VOC)との戦争に対応してマカッサルの支配者が着手した要塞化計画の一環として建設された可能性が高いと言われています。
その後、この地はオランダに譲渡され、1673年から1679年にかけて現在の形に改築されました。オランダの提督コルネリス・スピールマンの主導で完全に再建され、スラウェシ島におけるオランダの植民地権力の中心地となりました。その時に、スピールマンの出身地にちなんでロッテルダム要塞と改名されたのです。
要塞は六つの砦を備え、7メートルの城壁と2メートルの深さの堀に囲まれており、現在でもその「亀」の形が保たれています。この形状から「ベンテン ペニュ」(「ウミガメの砦」)というニックネームが付けられました。この堅固な砦は1930年代までオランダの地域軍と政府の本部として機能していましたが、その後は防御用としては使用されなくなりました。短期間の日本占領中には言語学や農業分野の科学研究に使用されましたが、その後は荒廃しました。1970年代に砦は大規模に修復され、フォートロッテルダム要塞は文化と教育の中心として現在に至っています。
要塞内には13の建物があり、そのうち11は17世紀に建てられた砦のオリジナルの建物です。ほとんどは良好な状態を保っています。
城塞の中心には教会の建物があり、南北のカーテンウォールに沿って複数の建物が現存しています。北側のカーテンウォールに沿った建物は、総督の邸宅、上級商人の邸宅、船長の邸宅、略奪者の邸宅など、1686年に建てられた最古の建物です。
そして秘書、武器を保管する建物がいくつかあります。北西端にある知事公邸は「スピールマンの家」と呼ばれていますが、スピールマン自身が実際にこの家に住んだことはありません。
もともと倉庫として使用されていた南の建物には、絹織物、農業、造船などの地元の技術を展示する博物館があります。閉館間際でしたが、博物館の中に入ることができました。
館内で展示物を見ながら、マカッサルの歴史に触れることができました。
博物館の見学を終えて外に出ると、乾季のはずでしたが久しぶりの雨が降ってきました。突然の雨に驚きましたが、スタッフが椅子を用意してくれ、雨宿りをさせてくれました。さらに雨に濡れないように、砦の内部まで車を横付けさせてもらいました。このような小さな気遣いが、マカッサルの魅力を感じさせてくれました。フォートロッテルダム要塞の歴史と共に、マカッサルの人々の心温まる行動も我々家族の記憶に刻まれました瞬間となりました。