インドネシアにはゴトン・ヨロンという素晴らしい精神があります。
デサ(desa)とは、インドネシアのジャワ、マドラ、バリ島などでみられるムラ(村落)のことを意味していて、ゴトン・ロヨン (gotong royong) とは、インドネシアやジャワでみられるムラの相互扶助の慣習のことを意味します。
ゴトン・ロヨンは、ジャワ語の “gotong” (運ぶ、持ち上げる)と “rojong” (一緒に、集まって)からなり、「一緒に集まって持ち運ぶこと」から転じて相互扶助を意味する。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
デサと呼ばれるジャワの農耕社会には、村の決めごとは全員で話しあい(ムシャワラ)、全員の合意を打ちたてる(ムファカット)という伝統があり、この合意に従って共同作業を行なったり、村長を選出したり、儀式を行なうという慣習法(アダット)があった。ゴトン・ロヨンには、この伝統的なムラの慣習法原理を動態的に捉えたときに、相互扶助(ゴトン・ロヨン)の原理として概念化される。協同でことにあたることによって、参加者間の社会的な紐帯を強化するという効果もある。
ゴトン・ロヨンとは、お互いの協力・助け合いを表すインドネシアの言葉です。
仲間のインドネシア人は、民族、宗教、人種、グループ間を問わず、互いに助け合うことができます。
インドネシアは多民族国家、多宗教でありながら、それぞれの価値観を尊重しあう寛容な心があります。ゴトン・ロヨンの精神は、自分の利益について考えたり優先したりすることなく、常に周り幸せのために、気づき、意識し、熱意を持って生まれます。
ゴトン・ロヨンは、地域で成長できる一体感を生みます。
相互に協力して、他の人を助けたり、多くの人が利用できる施設を建設したりすることができます。
ゴトン・ロヨンは、地域のメンバー間の団結を生み出すことができます。団結により、地域はより強力になり、発生した様々な問題を解決することができます。
ゴトン・ロヨンは、時間、エネルギー、思考、お金など、犠牲を払うことをいとわないことを人々に教えています。人々は自分の個人的な欲求を脇に置き、公益のために犠牲を払うことをいとわない。
ゴトン・ロヨンは、人々が互いに助け合うために手を取り合って働くようにします。
相互協力へのちいさな貢献は、他の人にとって大きな有益です。
ゴトン・ロヨンは、社会過程が維持されるように、人々にお互いを知らせることができます。
それが仕事や生活にも影響しており、誰かが何かに困っていたら助け合うという精神が強く根付いています。
インドネシアで、すごく良いなと感じる点は、工場の近くの住民の一体感を感じていて、例えば、工場に魚が予想以上に入荷してしまい、工場で働く人達で捌ききれない場合は、近所の住民がすぐに手伝いに来ます。もちろん、多少のアルバイト代は支払いますが、困っている時はお互い様と言いながら、魚の選別や箱詰めの手伝いをしてくれます。
工場に、大きな機械を導入する際も、トラックから荷降ろしする時も工場の目の前の道が狭いせいもあり、すぐに渋滞を起こしてしまいます。そんな時は、すかさず近所の人が荷降ろしの手伝いや、交通整理を行なってくれます。
この「助け合いの精神」は昔戦後の日本を高度成長させ、先進国にまで登りつめた時に日本人にもあった精神と似ています。
しかし、現代社会において、日本でもともと地域にある助け会いの精神である自治会やPTAなどの活動などでも、地域によっては段々希薄になり、都心のマンションでは隣近所の人と会った事もないなど、地域コミュニティがなくなりつつあります。
現代では、インドネシアの様な、ゴトン・ロヨンの様な事ができにくい世の中になって、最近では、地域のためよりも、自分都合が優先の世界になってきている様な気がします。
インドネシアにいると、「何か困っていることはない」「何か手伝いましょうか」と声をかけられることが多々あります。日本人だから声をかけてくれるのだとは思いますが、この助け合いの精神には、とても救われました。正直なところ、はじめは、なんでみんなこんなに優しいのか、と思うこともありましたが、裏があるわけではなく、親切心からの行動であるケースがほとんどです。
私自信も、常に周りの人達にも気を配り、自分中心ではなく、相手の気持ちを常に思いやる心だけは、忘れないようにしたいと感じます。