【インドネシア】断食明け挨拶に込める想い

Indonesia

1ヶ月の断食が終わり、インドネシアでは「Idul Fitri(イドゥル・フィットゥリ) / Lebaran(ルバラン)」という断食明けの大祭に入りました。断食明けの際に「Mohon Maaf Lahir dan Batin(モホン マアフ ラヒール ダン バティン)」という言葉をお互い口にし、握手をします。本日はこの断食明けの挨拶についてお話します。

断食明け挨拶とは

「Selamat Hari Raya Idul Fitri 1432H. Mohon Maaf Lahir dan Batin」

レバラン当日及びその後、数日にいたるところ耳にすることができます。お祈りの場所から始まり、家族や親せきとの間はもちろんで、近所の人や友人など人と出会う度にこの挨拶が交わされます。インドネシアのレバランという時期における象徴的な挨拶と位置付けられています。

インドネシアでは、イスラム暦の新年は別としても、感覚的にはプアサ(断食)明けのレバラン(断食明け大祭)が日本のお正月のような時期に当たります。「今年もよろしくお願いします」が日本流のあいさつなら、レバラン挨拶は「Mohon Maaf Lahir dan Batin」となります。

断食明けの挨拶の意味は

Selamat Hari Raya Idul Fitri 1443 H

Idul Fitri はアラビア語からの外来語で、断食明けを意味します。

Selamat Hari Raya 〇〇で、〇〇の日おめでどうございます、という意味になります。

1443H は、ヒジュラ暦(イスラム暦)1443年であり、イスラム教の預言者ムハンマドがメッカからメディナへ聖遷(ヒジュラ)した年をその元年として、今年が1443年目にあたるという意味です。ヒジュラ暦は完全な太陰暦(月の暦)で1年間は354日ですので、普段使われている太陽暦から毎年11~12日ほど前にずれていきます。

よって、Selamat Hari Raya Idul Fitri 1443 H は、

1443年目の断食明けおめでとうございます!

の意味になります。

「断食明けおめでとうございます!」の後に続く挨拶は、Mohon Maaf Lahir dan Batin (モホン マアーフ ラヒール ダン バティン)となります。

Mohon Maaf は、「ごめんなさい」、「許してください」の意味です。

Lahir dan Batin (Lahir Barinとも言います) の、

Lahir(ラヒール) は、「産まれる」という意味ですが、「外面・肉体的(肉体面・フィジカル)」と言う意味で、
danは「と」、「および」の意味、
Batin(バティン) は、Lahir(ラヒール)の反対の言葉で「内面・精神的(精神面・メンタル)」という意味で

Lahir dan Batinは「肉体的および精神的に」、「外面も内面も」となり、この意味が転じて「心から」、「誠実な心で」のような意味を持ちます。

つまり訳すと、
「外面(肉体面)も内面(精神面)も許してください」=「生きてきたこれまでの過ちを許してください」、「すべての罪をお許しください」となるようです。

なぜ挨拶でお互いに許しを求め合うのか

イスラム教の中に「人間同士の過ちの場合は、神に許しを求めるだけではなく、その人間同士が直接許しあうことで過ちが許される」というものがあるため、断食明けでいままでの事は一旦水に流して、一度リセットしてお互いに直接許しを求めるということになります。

断食期間中に身も心も清め、レバランの日を境に以前に起きたことはリセットし、生まれ変わったので、今まで知らずに誰かに対して悪いことをしてきたことに対して、これまでの自分の過ちに対して謝ることで、人間同士が許し合い、そしてアッラーの神様からも許しをもらえるようにという意味が込められています。

 

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