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寂しさと刺激のあいだで潜む慣れと戸惑いーインドネシア生活4年目のリアル

2021年冬、インドネシアに赴任して海外生活も早4年目です。

とっても長い旅路の途中にいるような海外生活ですが、海外生活ってね、実は寂しいんですよ。どうしたってスッキリとはわからないことばかりの出来事や言葉に囲まれる。刺激的で、開放感、切り開いている感を感じる一方で、完全には拭えない寂しさが込み上げてきます。

でも、この数日間は今まで当たり前のようにやり過ごしていた自分の感情に改めて向き合う、いいきっかけにもなりました。「なんだか落ち着かない」「周りの人にうまく馴染めていない気がする」とモヤモヤしていたのですが、最近になって「それって寂しさだったんだ」と認められたことで、逆に少しだけ心が軽くなった気がします。

「慣れ」と「戸惑い」のあいだ

インドネシアに来て4年目というと、ある程度は現地の生活リズムや習慣、そして言葉にも慣れてきた頃です。日常会話なら大きな問題なくこなせるようになりましたし、オンラインタクシーなどを使った移動、週末のショッピングモール巡りなんかも手慣れたもの。最初は小さな買い物ですら「どう注文したらいいの?」「言葉が通じなかったらどうしよう?」と緊張していましたが、今では地元の市場に一人で行っても値段交渉を楽しむ余裕も出てきました。

しかし、生活が「慣れ」で埋め尽くされてくる一方、いつまでたっても戸惑うこともたくさんあります。例えば、地域によって気候やカルチャーが全然違うこと。マカッサルは都会だけれど、ちょっと地方に行くと時間の流れが少しゆったりしているように感じるし、バリ島に行けばもっと観光客向けの空気感が漂っています。言葉もインドネシア語だけでなく、地方ごとに異なる言語が飛び交っていて、看板やメニューのローカル表記を見ただけではさっぱり分からないこともしばしばです。

そんな多様性に富んだ場所での暮らしは、本当に刺激的。だけど、その分「日本ではこうだったのにな」と感じるたびに、小さなカルチャーショックの波が押し寄せます。「自分が常識と思っていたことが、ここでは全然常識じゃないんだ」という当たり前の事実を思い知らされるたびに、面白いやら戸惑うやら、気持ちがジェットコースターのように揺さぶられるのです。

日常に潜む寂しさ

寂しさを感じるのは、やはりふとした瞬間が多いですね。例えば仕事が終わってアパートに戻ってきて、何気なく窓の外を見る時、そこに自分の居場所がすっと溶け込んでいるかというと、ちょっと違う。まるで映画の大きなセットの中にぽつんと立たされているような気分になることがあります。

それから週末。日本にいた頃は、何気ない予定がすぐに組めていました。今はそうはいかない。仲良くなった現地の友達や駐在仲間との予定もあるにはあるけれど、日本語でペラペラ話してリラックスできるのかといえば、やっぱりちょっと違うんですよね。心のどこかで、「わかってもらえないかも」という遠慮が常にあるのかもしれません。

でも、そうやって「寂しいなぁ」と思う時間って、ある意味では自分の内面を見つめ直すチャンスでもあります。最近はその時間を「あれ、自分って何考えてるんだろう?」と省みるきっかけに変えてみようと思い始めました。

新しい人間関係から学んだこと

赴任してからの数年で、一緒に仕事をする現地スタッフの方々とはだいぶ親しくなりました。みんな本当に優しくて、特に日本人に興味を持ってくれる人が多いのがありがたいです。日本では経験できないようなイベントに参加できるのはとても貴重で、そこでの会話や交流の中から、相手の大切にしているものや価値観に触れることができます。

一方、やっぱり文化の違いで誤解が生まれることも少なくありません。仕事上のコミュニケーションひとつとっても、曖昧に「たぶん大丈夫」と言われていたのに、実は何も進んでいなかったり…。日本人的には「NOならはっきり言ってほしい」と思うし、相手からすれば「NOとは言えない、空気を壊すのは失礼」という感覚だったり。そういったズレを埋める作業は、一朝一夕にうまくいくものではなくまだまだ奮闘中です。

それでも、異なる文化を持つ人たちと時間を共にし、喜怒哀楽を共有することで、いつの間にか心の距離が縮まっているのを感じます。「言葉が違うからわかりあえない」なんてことは全然なくて、むしろ言葉を超えた部分で相手の真心や温かさを感じることが多いんですよね。

日常をちょっと「楽しむ」工夫

寂しさは時に襲ってくるけれど、長くこの地に暮らすうちに自分なりの「楽しみ方」も見つけられるようになってきました。例えば、休日の朝は近所を巡って、いろんなお店を覗いてみるんです。インドネシアならではのカラフルな伝統菓子やトロピカルフルーツが所狭しと並んでいて、見ているだけでも楽しい。値段交渉をするときはインドネシア語で「これもう少し安くならない?」なんて言ってみたり、時には相手に冗談を飛ばしてみたり。言葉の壁があっても、楽しそうに話しかけると笑顔で応じてくれる人が多いのは、この国の大きな魅力だと思います。「私がここにいるのも悪くないな」と思える瞬間でもあります。そうやって自分の気持ちを素直に話せる相手がいることで、海外生活の寂しさや不安がずいぶん和らぐ感じです。

心の疲れに気づくということ

最近、「寂しいな」と思う感情を無理に押し殺すのではなく、「そう感じている自分がいるんだな」と受け止めるようにしています。渡航したばかりの頃は、とにかく新しい環境に早く馴染まなくちゃと焦るあまり、心の声を無視して突っ走っていた気がします。インドネシアに来たことで得られる経験を「全部楽しんでやろう」「この機会を逃すまい」と思う反面、無理をして自分を追い込んでいた部分もあったんですね。

けれど4年目に入り、少しずつ慣れも積み重なって、ようやく「肩の力を抜いてもいいんだ」と思えるようになりました。住む街が自分にとって完全に快適ではないとしても、そこに小さな楽しみや心休まる場所を見つけることはできる。完璧な理解は無理でも、コミュニケーションの手段を試行錯誤しながら相手を理解していくことはできる。そう思うだけで、ぐっと楽になるんです。

これからの目標と展望

4年という節目を迎えて、改めて「この地での暮らしをもっと充実させたい」と思うようになりました。これまで以上に、自分なりのリラックス方法を探求していこうと思います。自分がどれだけ現地に根ざしていけるかは、言葉や仕事だけじゃなくて、そこに暮らす人たちとどんな想いを分かち合えるか、というところにあるのかもしれません。寂しさはゼロにはならないけれど、「自分が何のためにここにいるのか」「どんなふうにこの国と関わりたいのか」を問い続けることが、海外で暮らす上では大切なんだなと感じています。

“寂しさ”を育てる?

実は、「寂しさ」の感情も大事に育てていけば、悪いことばかりではないんじゃないかな、と最近思うようになりました。というのも、寂しさを感じるときって、自分が「ここにいていいのかな」「私は誰かとつながっているのかな」といった不安や孤独を強く意識するときですよね。でも、そこに目を向けるからこそ、新しい友達との出会いに喜びを感じたり、ほんの些細な優しさにも心が温まるのかもしれない。寂しさがあるからこそ、人はつながりを求め、努力し、知恵を絞ってコミュニケーションの手段を見つけていくんじゃないかと思います。ここインドネシアの地で、まだまだ知らない世界に足を踏み入れようとするとき、きっとまた新たな寂しさや不安にぶつかるはず。でも、そのたびに自分自身を見つめ直し、「あ、私また一歩進んだな」と感じられる瞬間が増えていくのではないでしょうか。

寂しさをバネに、日々を自分らしく

こうして書いていると、改めて海外生活の「寂しさ」はまるで波のようにやってくるなと思います。あるときは大きく、あるときは穏やかに。でも、その波を受け止めながら過ごしてきた4年間を振り返ると、「ああ、私はちゃんとここで生きてきたんだ」という実感も湧いてきます。少しずつですが、自分なりに楽しいと思える瞬間を増やせるようになり、人間関係の築き方もわかってきたような気がします。

遠い異国の地で感じる孤独感は、簡単にはぬぐえない。けれど、それをただのマイナスと捉えるのか、「自分を見つめるチャンス」と捉えるのかで、同じ日々がまったく違った景色に変わっていきます。そう気づかせてくれたのが、4年間のインドネシア生活でした。

これからも、文化の壁や言葉の壁、そして自分の心の中にある小さな壁と向き合いながら、寂しさと上手に付き合っていきたい。その先には、今まで想像もしなかったような素敵な出会いや、新しい自分との出会いが待っているかもしれないから。そんな希望を胸に、今日もインドネシアの夜は更けていきます。寂しさも刺激も、すべてひっくるめて味わい尽くすのが海外生活の醍醐味なのかもしれません。これからも、インドネシア4年目のリアルな日常をゆるりとシェアしていきたいと思います。

kenji kuzunuki

葛貫ケンジ@インドネシアの海で闘う社長🇮🇩 Kenndo Fisheries 代表🏢 インドネシア全国の魅力を発信🎥 タコなどの水産会社を経営中25年間サラリーマン人生から、インドネシアで起業してインドネシアライフを満喫しています。 インドネシア情報だけでなく、営業部門に長年いましたので、営業についてや、今プログラミングを勉強中ですので、皆さんのお役にたつ情報をお伝えします。