ライオンエアでマナド空港到着しました。地元の人の案内でキハダマグロ漁が行われている小さな漁村を訪問することになりました。
マナドのキハダマグロ漁業の旅の第一歩は、ライオンエアによるマナドへのフライトから始まりました。多少の雲が見えましたが、空は碧く、気持ちのいい晴れ間が広がっていました。空港に降り立つと、地元の人々の親切な笑顔と心地よい風が私たちを迎えてくれました。
マグロ一筋20年でマグロ漁に一生を捧げてきた日本人の方とのの出会いでした。その方と共に、私たちはキハダマグロ漁の現場を訪れるため、車で約30分の旅路に出ました。
まず向かった先は、キマ・バジョ(Kima Bajo)という名の小さな漁村でした。
この村はインドネシア北スラウェシ州のウォリ地区に位置し、ほとんどが漁業を生計とする人々が生活しています。
キマ・バジョという名前には独特の歴史があり、その名前の起源はバジョ族という海洋民族に由来しています。かつて、ビア・キマと呼ばれる貝を集めるために、この地域にバジョ族が集まってきたからです。バジョ族とは主にフィリピン、マレーシア、インドネシアの周辺海域に何世紀にもわたって海の上で暮らしてきた海洋民族です。かつては伝統的に手作りの船の上で暮らし、食料、水など必要なものすべてを海に持って行き、岸にやってくるのは、物々交換か船の修理をする時だけという生活をしていましたが、船の上での生活は不自由になってきて陸にあがってきましたが、いつでも漁に出られるように海の上などに家をつくり漁業で生計を立てています。
さらに細い道を抜けていくと、タワラン・バジョ・ビーチ(Pantai Talawaan Bajo)にやってきました。
小さな川と海が合流する半島のような場所に漁民が集まって暮らしています。漁民がここを拠点として船に乗り出港してキハダマグロ漁を行って生計を立てています。マグロは漁獲してからの鮮度維持がとても難しくデリケートで漁獲から浜辺に戻るまでの短い時間で、適切な処理を行わなければなりません。漁獲してから浜に戻るまでの時間の間に、神経締めなどをして血抜をしてエラを取るなど処理をしないと、Aグレードと呼ばれる刺身用のマグロにはならないそうです。小さな船なのですが、1尾30~50Kgのキハダマグロが水揚げされ、その日のうちに工場へ運ばれてロインと呼ばれるマグロを三枚に卸し、さらに、腹側と背側に分けたものに加工されて日本やシンガポールなどに空輸されるとのことです。
漁村を訪れ、直接地元の漁師たちと交流することで、彼らの生活と仕事について深く理解することができました。彼らの努力と知恵、そして一貫した流通システムのおかげで、私たちは美味しいマグロの刺身を味わうことができます。それを肌で感じることができたとき、私たちはこの旅の価値を改めて実感しました。夕方になり、村人たちが夕食の準備を始める頃、そこを後にして、次の目的地へと向かうことになりました。
今回の旅は、ただマグロを食べるだけではなく、その過程を知り、関わる人々と触れ合うためのものでした。新しい場所を訪れ、新たな体験をすることで、私たちが普段味わう食べ物がどのように作られ、どのような物語が込められているのかを学んでいきたいと思います。