イスラム教は7世紀に、現在のサウジアラビアのメッカで誕生しました。キリスト教でいうところの聖書に当たるのはコーランです。
現在では中東、北アフリカ、アジアなどで広く信仰され、世界で2番目に信者が多いとされていますが、近い将来には、現在信者数が一番多いキリスト教を抜くだろうと予想されています。つまり、イスラム教を知ることで、インドネシアへの理解がより深まることになるのです。
イスラム教徒は五行と呼ばれる信仰行為を行う必要があります。その中で、巡礼(ハッジ)聖地メッカに巡礼をすることがあります。
イスラム暦の12月は、世界で18億人いると言われているイスラム教徒が巡礼の旅に出る聖なる月!世界中のイスラム教徒がサウジアラビアのメッカを目指します。
富める者も貧しい者も、元気な若者から老人まで、皆二枚の白い布を身に着け巡礼を行います。この巡礼を行なって初めて、立派なムスリムになるとされ、非常な名誉となるため、イスラム教徒は全財産をはたいてでもメッカの地を目指すのです。
この巡礼で旅に出る者が多いためか、コーランには“旅行者には親切にせよ“と書かれており、実際にインドネシアに行くと、旅行者は非常に親切にされることが多いです。
イスラム教徒は1日に5回お祈りをする必要があります。お祈りの時間を知らせる“アザーン“に沿ってモスクに訪れお祈りを捧げることが多いですが、時間通リにお祈りできない場合もあります。モスクを訪問するといつでもお祈りに訪れている信者がいます。
ムスリム(イスラム教徒)と一緒に行動していると、道中のモスクを見つけて、ちょっとお祈りしてくるので待っていてください、と言われる事がよくあります。
いつもは、そのまま待っている事も多いのですが、田舎の片隅にたたずむモスクがあまりにもキレイな建物であったため、イスラム教徒ではないけど中を見学できるかとお願いしたところ、大丈夫とのことでしたので、後ろで静かに見学することになりました。
後ろの隅で、静かにお祈りを見学していると、色々な事に気づきます。作法が決められており、きっちり段階を踏まないと、お祈りは無効となるそうです。
モスクの中に入ると、お祈りの時の服装は、男性は下半身、へそから下膝の上までの部分を衣服で隠すことになっています。上半身は裸でも構いません。
女性は手と顔以外は全て服で隠れていないといけません。覆い隠す服はモスクで借りる事もできます。
礼拝の方向が重要でサウジアラビアにあるメッカに体を向けます。モスクはメッカに向いて建設されているためわかりやすいです。メッカの方向は「キブラ」といい、モスクの中にはキブラを示す「ミフラーブ」というくぼみがあります。
信者にとっては聖なる場所であるモスクであるため、見学できるか確認してからにしましょう。確認できない場合は入るのは控えておく方が良いです。
主要な観光地のモスクでは、イスラム教に対する理解を深めるため、非イスラム教徒のために時間を決めて公開していることもあります。事前確認をしましょう。
観光客に公開しているモスクでも、お祈りの時間が来たらモスクを出るか、静かに過ごすようにしましょう。
モスク内の写真撮影は、基本的には控えましょう。イスラム教徒の中には写真を撮られることを非常に嫌がる方がいるということです。イスラム教では偶像崇拝が禁止されており、自分の姿形が写真という形で後に残ることを嫌うためです。
お祈りが終了してモスクから人はぞろぞろ出てきます。邪魔にならないようにお祈りの時間は外にいました。老夫婦が声をかけてくれて、日本から来たと答えると、よくここまで来たね、満面の笑みで迎えてくれ、ゆっくりモスクの中を見学したらと言ってくれました。
モスクは、旅人が旅行中に宿がない時の宿泊場所になったり、お金がない時も食事を提供してくれたりする場所にもなります。今でこそメッカへの巡礼の旅は飛行機で行きますが、昔はモスクを転々と宿代わりにしながら巡礼の旅をした証なのでしょう。イスラム教徒としてもモスクは神に守られている場所なので、拠り所とする神聖な場所になります。
モスクが旅行者に親切にすることの意味がわかりました。モスクはイスラム教徒以外にも寛容な心で迎えてもらえる場所でありました。
お祈りで神に感謝した後のイスラム教徒は、なにか清々しく、幸せそうな笑顔をみると、こちらも嬉しくなります。
日本にはイスラム教徒が少ないこともあって、イスラム教の世界はまだ馴染みの薄い宗教であります。また、広い範囲で信仰されている宗教のため、国や人々の信仰度合いにもかなりの差が見受けられるのも特徴的です。
お酒を飲むこと、顔や身体を隠すことも、それぞれ個人の判断に任せられている場合がよくあります。
日本の文化からは掛け離れているからこそ、イスラム教徒の人々と交流した時に新鮮に感じられるはずです。是非イスラム教を積極的に理解してみてください。