ソーシャルビジネスとして中小企業が海外展開を挑む
中小企業が海外展開する上で大切なこと、今まで行ってきた国際協力事業を通じて海外展開を実施して今回、インドネシアでの現地会社設立までの取組について、方向性をしめしてみたいと思う。
ソーシャルビジネスの定義
①社会性:現在、解決が求められる社会的課題に取り組むことを事業活動のミッションにすること。
(経産省のソーシャルビジネス研究会)
②事業性:ミッションをビジネスの形にして継続的に事業活動を進めること。
③革新性:新しい社会的商品、サービス、それを提供する仕組みを開発しそれを活用すること。その活動が社会に広がる事を通じて新しい社会的価値を創造すること。
社会的企業=ソーシャルベンチャー、ソーシャルエンタープライズ と呼ぶこともあります。
ソーシャルビジネスと一般企業の違いは、目的が社会問題を解決できるか否かで決まる。
ボランティアやNPOとの違いは、事業収益性や持続性があるかどうか。
JICAの国際協力事業を通じて海外の貧困や所得向上にアプローチする事、そこから得られるビジネスモデルを事業化する方向性を見つけること。
リスクのとらえ方
社会起業家=(我々)
問題を見てみぬふりをすること、問題の存在を知ったのに何も行動を起こさずやり過ごすこと=リスク感=危険なこと。
一般の人
その社会問題に対して、エキスパートでない素人の自分が足を突っ込む、仕事を辞めてまで取り組むこと=リスクと感じる。
自分がなにかすることで、自分の今あるものを失う事=やりたい事ができない、自分は何もできなく、ネガティブな現実が続く。→企業に勤めるサラリーマンでは到底不可能。
JICAの国際協力事業からの海外展開は、よく考えたら企業として取り組みは、自分の利益を優先したら社会的活動はできない。
もしくは、ある程度の身分のまま、社会的活動を行う事は、会社にとっても迷惑である。
あの人はなにを目指していてといくら説明しても、いつも会社にいなく、インドネシアに行っているとしか思われない。
結局
企業経営者は、目先の利益を優先し、従業員は従属的に働きき会社のため、経営者のために安い給料で働くしかない。
まさにこの状態が、合成の誤謬(ごびゅう)状態である。
個人のベストな選択(合理的な選択)をすることを社会の多くの人が同じ様なベストな選択を行う状態でも、逆人それが、非合理な状態を生む状況になる。
ミクロは正しくても、マクロになると意図しない結果となる。
社会的ビジネスとして、JICA事業を採択しても、大多数になったとたん、正しい事が否定され、別の方向に進んでしまう。
合成の誤謬の例
販売部門(営業)は、売り上げに責任があるため、限定販売プランよりも、薄利多売プランを選択する。
生産部門(工場)は、費用に責任があるため、費用が高く品質も良いプランよりも、費用が安く品質は並みのプランを選択する。
よって会社(経営者)の選択は、薄利多売で、品質が並みのプランが決定され企業活動を行う。
しかし、実は利益的には、限定販売プランで費用もかけるが、品質も高いプランの方が利益率が高い。
回避方法として、各部門に利益責任権限を与える(経営者がやるべきだが)、他部門と協力するインセンティブを与える方法があるが、各部門間の責任者が能力ないと、成り立たない。
優秀な人材が10名集まれば、とんでもなく優秀な組織になるが、それが100名、1000名となるとダメ組織となる。
つまり、自分が与えられた責任を完璧に果たそうとすると、真逆の結果となる。
ミクロの視点とマクロの視点で正しい行動を一致させることが重要。
個人や企業は、基本的に合理的な選択をしていく。→それが集まってしまうと経済がまわらない。
(貯蓄と消費の原理が合成の誤謬でよく使われる例)
政府が、非合理的な行動(誤った行動)をすることで、借金してまで税の優遇措置をおこなったりするのは、経済を回すために行う。
結論
中小企業の海外展開について考えると、海外先任者の思いが重要である。
情熱・・・インドネシアが好きかどうか、あきらめない心、困難に打ち勝つ力
人脈・・・どれだけ人脈がつくれるか。現地ネットワークの大切さ。
時間・・・どれだけ時間をかけられるか。すぐに結果は出ない。
社長や経営者は海外担当をしない方が良い。特に中小企業は、国内商売が基本であり、海外事業をおろそかにできない。海外担当先任者であれば、できなかった場合でもそれで終わりにできる。海外のような新規事業に関しては、失敗して当然と考える。
政府も中小企業の海外展開支援を積極的に行っているが、なかなか成功しない理由が判明した。
半面、海外展開への筋道を描くことができれば、一筋の光が見えてくるのではないだろうか。
インドネシア事業での正しい判断をしていきたいと考えています。