「多様性の中の統一」を国是に掲げるインドネシアは、「地域ごとの特色」というものに非常に富んだ国であると言えます。
インドネシア最西端のサバン島と最東端のメラウケまでの距離は、5000Kmを越え、米国の西海岸と東海岸よりも長い。人種も文化も伝統も違う民族が寄り添っているのが、インドネシアという国であります。
文化圏という点では、決して「インドネシア」となかなか一括りにすることはできないのですが、同国で最も強い存在感を発揮する地域があります。
インドネシア国民の誰しもが「ジャワ文化の源泉」と呼び、世界各国の旅行者からもその独自性を絶賛されている都市がジャワ島中部にあるジョグジャカルタであると言えます。
ジョグジャカルタ特別州(ジョグジャカルタとくべつしゅう、インドネシア語:Daerah Istimewa Yogyakarta)は、インドネシア共和国のジャワ島中部南岸に位置する州で、州都はジョグジャカルタ市となります。
古い綴りでは Jogjakarta であるため、他の言語ではジョクジャカルタと発音されることが多く、ジョグジャとも略されます。
名は「平和の町」という意味で、南はインド洋に面し、陸は中部ジャワ州に囲まれています。
活火山であるメラピ山の保水能力と肥沃な土壌により、ジャワ島でも屈指の農業に適した地域です。
ジョグジャカルタ特別州は第1級地方自治体であり、他の州と同等な特別行政地域です。
ボロブドゥールやプランバナン寺院群など世界遺産の観光都市と、ガジャマダ大学を中心とし多くの私立大学を有する教育学研都市がジョグジャカルタの表の顔ですが、インドネシアで最も低額の最低労働賃金が設定されていて貧富の差が大きいことでも有名です。
人口密度と貧困率の高さから、他島や都市部への移住者や、国内外への出稼ぎ者が非常に多い地域です。
ジョグジャカルタ特別州は、非常に面積の小さな行政区域です。
この辺りの地域は、かつてマタラムと呼ばれていました。
山が多いジャワ島西部とは違い平野に恵まれ、大規模な稲作ができる土地となっています。
強大な王朝はこのような条件下で生まれやすいとも言えます。
8世紀初旬から200年に渡り栄えた古マタラム王国は、ジャワ島の文化形成に大きな役割を果たしました。
ジョグジャカルタ市内にある世界遺産プランバナン寺院群も、古マタラム王国時代に建立されたものになります。
古マタラム王国はヒンドゥー教の王朝でした。
ヒンドゥー教では、神話の視覚化が盛んに行われます。
それはすなわち、絵画や演劇の文化が発達しやすいということになります。
現代に受け継がれるバティック、影絵芝居ワヤン・クリット、ヒンズー演劇などは古マタラム王国以来の伝統になります。
現代のジョグジャカルタ市民はイスラム信徒が殆どですが、ヒンドゥーの文化を駆逐してしまえという人はいません。ヒンドゥー教の前のボロブドゥールが建設された頃は仏教であったため、宗教が違っても、文化を守る人々の力が後世に受け継がれている証拠でしょう。
新マタラム王国の系譜を持つジョグジャカルタ王国は、75年前のインドネシア独立戦争においてスカルノと連携していました。
スカルノはこの戦争期に、ジョグジャカルタをインドネシア共和国の臨時首都に指定しました。
当時の国王ハメンクブウォノ9世は、のちにジョグジャカルタがオランダに占領されてしまいましたが、スカルノに協力し続けました。その貢献が認められ、ハメンクブウォノ9世は独立後にジョグジャカルタ特別州の知事に任命されたのです。共和国として独立したインドネシアでは唯一、地域王室制度が存続しており、王室が州知事を務めています。この知事職は世襲制で今現在は子息のハメンクブウォノ10世が継いでいます。
1998年、インドネシア政府は特別州知事の世襲制を廃し選挙制を導入したが、州議会は前述の1950年の法律を根拠にハメンクブウォノ10世を知事に選出して未だに現職です。
ハメンクブウォノ10世は5人の子供全てが女性で、男子がおらず、継承問題が懸念されています。ジョクジャカルタの歴代王10人は全て男性で、正室の長男を充てるという内規があるそうです。王女へ継承する意向を示しているが、異母弟が反対を表明するなど王族内には異論があるそうです。
ジョグジャカルタ王室は、日本での天皇一家に似ていて実際交流もあるそうですが、後継者問題は同じで、悩みの種という感じでしょうか。